二酸化炭素+α

ゲームに関するいろいろ

Esportsサークルを一つ潰して学んだ事

僕とesportsとの関わりはもう随分長い。付き合い方も大分変わって、昔のように人生を注ぎ込み続けるような生活は辞めてしまった。
僕が今の自分を見たら軽蔑するような考えの持ち主だった頃、大学でesportsサークルなるものを設立し、運営をしていた時期もあった。瞬間最大風速では100名近い所属があったがすぐにその勢いは失せ、4年経たずに大学からサークルは姿を消した。既に新たな団体が、別なサークルとしてesports団体を運営し始める程に時が経っている。

今回はその頃を振り返っての反省を述べていきたい。自分はリーダーとして最悪の人間であったし、それほどまでに膨らんだサークルが潰えてしまったのは全て僕自身の責任である。今思えば、もっとやり方があった筈だと後悔するばかりだ。

執筆にあたって大学の特定につながるような具体的な事象や、詳細については省かせて頂く。
今何処かでesportsを運営している人にもし読まれたなら、馬鹿にしてもらって構わない。


さて、それではそんな我々の活動目的は一体なんだったのか。
その答えは存在しない、だ。そして、これが全ての問題だったのだろうと僕は考えている。
上で述べた通り、僕がサークルの立ち上げ人であり、全体の代表としての運営を行なっていた。
ただ、発起時も運営を数年続けた後も、明確な活動方針を定める事は無かった…と思う。あったとしても覚えていないという事は、その程度のビジョンしか持ち合わせていなかったし、メンバーに伝える事も無かったという事だ。

僕は何故サークルを立ち上げたのか。それすらしっかりと語れない程に、それは衝動的で一過性に過ぎないスタートだった。集まる目的が無ければ方向性もまた定まらない。
その頃はゆるい繋がりで、なんとなく一緒に遊べるメンバーがみんなに出来れば良いとぼんやり思っていたはずだ。
しかし、その考えは間違っていたと今なら断言できる。そうしたいのなら、わざわざサークルなどと話を大きくせずに、個人で遊び相手を募集するに止めるべきだったのだ。


かつてサークルを立ち上げたのは自分だった。そして、解散を決めたのもまた自分である。
当時は既に新しい代表を立ててサークルを後輩に託した後だったのだが、それでも解散すべきと判断したのは、次の年になっても3年次以上の殆ど変わりない既存面子しか集まらなくなってしまったからである。また、多くのタイトルの部門が活動を実質休止し、廃墟となった村々が残るばかりだった。
そのような状態のまま名前だけ存続したところで、やる気のある新入生達の邪魔にしかならない。であればきちんと解散を宣言して、新たな団体が出てこれるようにした方が皆にとってよいと考えてのことだった。

当時愕然としたのが、サークルの新陳代謝がこれほどまでに機能しなかったという事実だ。
僕はメンバーが次第に離れていくことは仕方ない事だと考えていた。合う合わないは人それぞれだし、部門が自然消滅しても、ゲームに飽きた人にプレイを強制したところで、誰も幸せにはならないのだから、と。
そして、新入生が入ってくる時期になれば、自然とメンバーは増えるだろう、サークルはその繰り返しでなんとなく代替わりをして続いていくものなのだろう、と思い込んでいた。愚かなことである。

これは後にツイッターで読んだのだが、人間は自分の居場所が見つかると、徐々に閉鎖的になっていくものらしい。正しくは違った意味のことだったかもしれないが、サークル解散後にそれを読んだ時に、僕は自らの過ちが何だったのかを理解した。僕はサークルが閉鎖的傾向へ進むことを防がなくてはならなかった。サークル存続の為、そこがどういう場であるかをきちんと定めなければならなかったのだ。

サークルの皆はもちろん、一緒にゲームを出来る相手を探して集まったメンバーである。1年2年とゲームをする中で固定のメンバーが形成され始めるのも自然のことだ。遊ぶ仲間が見つかれば閉鎖的になってしまうのは当然の帰結だったということだ。また、立ち上げた別の部門が次々と自然消滅してしまったのも、彼らの集まる目的がなんとなくその時の遊び相手が欲しい程度の切っ掛けしか持ち合わせず、サークル自体の存在は大した価値を持たないものだったし、目的や目標が存在しなかったからだった。衰退の原因はそこにあった。
ただし、そこに彼らに何の責任もない。この環境を作ってしまったサークルの曖昧さが失敗だったのだ。悪いのはやはり、理念を打ち出す事なく見切り発車を行った僕なのである。
ボードゲームなどと違い、esportsはただでさえ顔を合わせることなくできる遊びだ。別に大学としてプレイしなくたって、一緒にできるプレイヤーはオンライン上にいくらでもいる。やめたくなったら単にdiscordに顔を出さなければいいだけの集まりが、継続などできるはずがなかったのだ。

必要なのはメンバー全員に方針を徹底して周知させることで、ある意味で強制力をサークルに持たせる事だったのだろうと今では考えている。そしてその目標に向けて運営を行っていくことが、継続的に活動するという意識を全体に共有する結果に繋がった筈だ。
例えば、大学に通う学生のゲーム仲間を作る場であると定めても良かったし、真剣に大会に向けて練習をするチームであると定めるのも、また選択肢の一つだった。
自分の居場所が出来た体験を次の新入生にもさせてあげるという空気を作らせることも、あるいは年代を超えてあらゆる手を尽くし、チームとして強くなるために、新たなメンバーを受け入れさせるという事も出来たはずだ。

よく考えて見れば、大学の他サークルでは、目標や、共に活動する意義が存在している。文化祭等への出店や、大会への出場、活動成果の展示などを行うのが一般的だ。
僕の行っていたサークル内のイベントについて振り返ると、思いつき以上のことを行なってこなかった。また、ただ単に毎週活動日を設けるだけでは、面子の固定化を防ぐには不十分だ。そして、新入生勧誘を行い、後は各部門に活動を丸投げするのでは、部門は続かない。

サークル継続に向けた方針を提示し、年を通じたイベント等の計画を用意して、各部門を立ち上げる際には義務を生じさせ、方針に沿って活動を続ける覚悟を確認する。そしてメンバーがメンバーである意義をそこに見出せるようにしなければいけなかった。

僕の立ち上げたサークルは、それを怠った為に解散という結末に終わったのだ。


ここまでは僕の話だ。
書いているうちに昔の記憶が蘇ってきて、少し視点を広げて同年代に活動していたサークルの今を調べてみる。すると、有名大学のサークルでさえも、かつて活発だった活動が途絶えているところが少なくない。
であれば、目立った戦績を残せないような弱小サークルが存続を続けることが、いかに難しいのかということを実感させられる。親しかった大学サークルもいくつかあったが、discordを見てみると同じようにメンバーが固定化されていき、サークルの継続は行われなかったようだ。

当時は各地の大学でesportsサークルが次々と結成された時代だった。それからどれほどのサークルが今日まで継続できたのか、またどうして消えていってしまったのかは分からない。しかし、多くのesportsサークルは、僕らとそう違わない道筋を辿ってしまったのではないかと思われる。

ここまで書いてきたが、既に全てはもしもの話で、ここに書いた事を行ったところで、結局は解散していたのかもしれない。esportsにおいて、大学を土台としたコミュニティの継続というのは、特に難しいことのように感じる。対応策を述べたが、具体的な方法などは全く詰められておらず、全ては机上の空論に過ぎない。
オンラインが主戦場のesportsを大学という単位でサークル活動を行うという意味が、果たして存在するのだろうかという疑問は、考えれば考えるほど深みに嵌っていくばかりだ。

それでももし、あなたがサークルを作りたいなら、単にゲーム仲間が欲しいだけなのか、それともコミュニティを確立し、あなたの手を離れた後も存続して欲しいのかをまず考えるべきだと思う。
突貫で書いた文章なので話が纏まらず申し訳ないが、後者を求める人にとって、僕の失敗が何かしらの参考になれば幸いだ。


後ろ向きな話が多くなったが、活動自体は楽しいものだったので、サークルそのものがそう悪い物ではないということは理解して欲しい。
最後に、解散を宣言させた当時の代表には、一度任せたというのに申し訳ないと思っている。ここで謝罪させていただきたい。